クロアチア日本の姉妹都市&何故兄弟都市ではなく、姉妹都市?

istra
おはようございます。海事代理士のらきてぃっちです。
今日は、クロアチアと日本の姉妹都市と何故、兄弟都市でなく、
姉妹都市と呼ぶかについて記します。

姉妹都市という制度が始まったのは?

第二次世界大戦後、当時、アメリカの大統領はアイゼンハワーさんで、破壊的な打撃を受けたヨーロッパの都市を復興させるために、アメリカの各都市を姉妹都市の条約を結び、民間レベルでの復興を強化しようとしました。

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何故、兄弟都市ではなく、姉妹都市??

エジプトのカイロと東京の姉妹都市で、イタリアのミラノは大阪の姉妹都市です。ところで、なぜ、兄弟都市でなく、姉妹都市というのでしょうか?
自分はフランス語を勉強していたので、わかるのですが、まあ、ヨーロッパの言語を勉強したことのある人ならご存知の通り、ほとんどの国の言葉には性別があります。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ほとんどの言語で「都市」は女性名詞とされているため姉妹都市となったわけです。
ちなみに、ロシア語では、「都市」は男性名詞ですが、日本では姉妹都市と呼ばれています。
ex)新潟市とハバロフスク
ただし、ロシアでは兄弟都市と呼ばれています!
名詞に性別のない、英国では、双子都市と呼んでいます。

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どういう理由で姉妹都市関係が結ばれるのか

そのきっかけや都市の選定理由はさまざまである。例えば、「何らかの交流をきっかけとして」、「両市にまつわるエピソードや史実にちなんで」、「両市の特徴や文化、産業などが似ている」、「名前が同じ(または似ている)」といったことから話が始まり、相互の交流や調整、協議などの手順を経た上でめでたく話がまとまれば、最終的に首長同士の調印へと至るわけである。

 

クロアチアと日本間の3組の姉妹都市

 

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「リエカ市」と「神奈川県川崎市」(1977年6月23日提携)

 

【提携の経緯】
1976年4月、当時の川崎市長がイタリアのミラノ市で開催された世界大都市市長会議に出席した際、ユーゴスラヴィアの常設市町村会議を訪問。姉妹都市提携について意見交換を行った結果、リエカ市を紹介された。その後、提案は両市の市議会において満場一致で可決され、リエカ市は川崎市にとって初めての姉妹都市となった。
【両市の共通点】
ともに大きな貿易港を有する港湾都市であり、工業も盛んである。

 

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「川」を意味するリエカ市は、ザグレブ、スプリトに次ぐクロアチア第3の都市(人口は約15万人)にして最大の貿易港を有する港町。アドリア海を運航するフェリーの会社「ヤドロリニヤ」の本社もここです。アドリア海に面する町でありながらその雰囲気がイタリア色でなく、内陸ヨーロッパ風なのは、中世にヴェネツィアではなくオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったため。華やかなカーニヴァルでも有名な町です。

 

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Photograph: Roberta F.
川崎市からリエカ市に贈られた石灯籠。リエカ市内には他にも、川崎市から贈られた像と噴水がある。

 

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「ザグレブ市」と「京都府京都市」(1981年10月22日提携)

 

  • 提携の経緯
    1966年より、代々の駐日ユーゴスラヴィア大使が京都とザグレブの姉妹都市提携について提案。人や文化の交流を中心に友好が深められてきた。1975年、両市が友好協議議定書に署名。 1981年に京都市長がザグレブを訪問し、姉妹都市提携が実現した。
  • 共通点
    どちらも古都であり、市の中心部が碁盤の目状の通りによって区切られた様子が似ている。

 

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ザグレブ中心部の地図。通りがほぼ垂直に交わっているので分かりやすい。
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画像元:http://www.photocroatia.com/
首都ザグレブには約80万人(人口の約18%)の人々が暮らす。町は北の丘陵地帯メドヴェトニツァから南のサヴァ川にかけて広がる。中世の雰囲気を色濃く残す丘の上の旧市街(上の町)は、カプトル(宗教地区)とグラデツ(商工業地区)という2つのエリアから成り、丘の下から鉄道の中央駅までが新市街(下町)にあたる。南部のサヴァ川一帯は「新ザグレブ」と呼ばれる地域で、第二次世界大戦後に開けた新興地。劇場や数多くの博物館・美術館を有するこの都市は、歴史と活気を併せ持つクロアチアの文化の中心地。

 

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「プーラ市」と「愛知県碧南市」(2007年4月5日提携)

これは、クロアチア料理で働いていた時に碧南市の職員さんがよくいらしていたので、覚えています。

  • 提携の経緯
    2005年の愛知万博の際の一市町村一国フレンドシップ事業において、碧南市の相手国であったクロアチア共和国から姉妹都市提携の要請があったことがきっかけ。プーラ市を含む3市が候補として挙がっていたが、碧南市との共通点もあり、姉妹都市提携に対して最も積極的であったプーラ市に決定された。
自分も愛知万博でのクロアチア館にいき、ニンの塩を作る作業を再現して、小国ながらとても力を入れていた感激しました。
  • 共通点
    同じく海に面した都市であり、市の面積や人口規模も似ている
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画像元:クロアチア政府観光局
イストラ半島の南端に位置するプーラの町のシンボルは、1世紀に造られた円形競技場。保存状態が良く、今も野外コンサートやオペラの会場として使われている。町にはこの他にもローマ時代の遺跡が数多く残されている。近郊には美しいビーチが点在し、また、周辺の海域は多くの沈船が眠る興味深いダイビングスポットとしても知られている。
イストラに関してはワインでも紹介しましたが、これから、日本人の観光客の増えていくだろう穴場の地域ですよ!
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昔は異文化間の交流は必ずしも簡単なものではなかったですが、今はSNSの普及や日本への観光客の増加で、意外と壁がなくなってきているように感じます。姉妹都市であることをツールとして、個人レベルでもたくさん交流なんてできると思います。自分のクロアチア人とは交流しています。異なる文化に触れることによって、自分たちの文化や歴史を見直したり、説明したり、勉強したり、新たな価値を発見したりしていくことも、とても意味のある事だと思います。