現在のコロナウイルスのパンデミックは、世界の多くを封鎖および検疫に力を入れていましね。多くの場所で前例のない時間を過ごしましたが、クロアチアの沿岸都市ドゥブロヴニクは実はそうではありませんでした。
1377年に、ドゥブロヴニクは検疫を導入した世界で最初の場所
多くの感染症が歴史を通じてヨーロッパを襲い、海上貿易のため、ドゥブロヴニクは特に感染しやすかったのです。いまでこそ、グローバルな人の移動であまりそういったことはなかったのですが、昔はインディアンなどもスペイン人がヨーロッパから感染症を持ってきてしまって、多くの人が亡くなってしまったそうです。
ドゥブロヴニクが経験した感染症の1つはハンセン病であり、それに対する措置として、当時ラグーザ共和国であったドゥブロヴニクは、外国から帰国するすべての人に、以前に近隣の3つの無人島で40日間の検疫を強制する法令を発行しました。
人が健康であることが証明された場合にのみ、彼らは都市に解放されます。疫病が蔓延した土地から到着した人の措置として、命令が発行され続けました。大規模なラザレット検疫施設が1642年にロクルムに完成しました。
ラザレットの建設により、流行は大幅に抑制され、最後の発生は1815-16年でした。今日、ラザレットはレクリエーション、貿易、娯楽に使用されています。
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640年以上後、ドゥブロヴニクは再びコロナを抑えるために戦っています。
地元のツアーガイド兼写真家が封鎖された街を占領しました。