昭和平成令和見聞録

大坂が大阪になったわけ

蓮如

こんばんは。ソムリエのらきてぃっちです。

今回の見聞録は

大坂が大阪になったワケ

歴史上の書物に「大坂」という地名が初めて登場したのは、明応五(1496年)年。蓮如上人が書いた「御文書」の第4帖に「そもそも当国(摂津国)東成群生玉庄の内大坂という在所」とあるのが、最初といわれています。この後、蓮如上人は石山御坊と呼ばれる大坂本願寺をこの地に建立しました。

蓮如は室町時代の浄土真宗 本願寺8世。浄土真宗開立(かいりゅう)の祖。浄土真宗では、蓮如上人(れんにょしょうにん)と呼ばれています。北陸では親しみをもって「蓮如さん」として人々から敬愛され、今も伝説・伝承が語り継がれている蓮如上人。

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石山御坊が建立された付近は、もともと「小坂」と呼ばれていました。しかし、蓮如上人が石山御坊を建立したときに縁起を担いで小坂と大坂に変えたと言われています。ちなみに、この時点ではまだ大坂は「おざか」と呼ばれていたようです。その大坂が現在の大阪と呼ばれるようになったのは、明治3年(1870年)のこと。

東京が首府と決められた明治維新後、大坂は衰退の一途をたどっていました。これは大坂の「坂」が「土に帰る」からだと人々が口にしはじめ、そのため、「盛ん」や「多い」という意味を持つ「阪」が使われるようになりました。当時の公文書の印鑑なども大阪に統一されてました。ちなみに、この大阪の例と模倣し、牛肉で有名な松坂も松阪と書かれるようになったそうです。