クロアチア代表のサッカーの強さと歴史にせまる”VATRENI NOGOMET”!

キャッチ画像は2006年に日本と対戦した代表チーム。アルゼンチン戦です。左から、

ニコ・コバチ、イヴァン・クラスニッチ、ダリオ・スルナ、ルカ・モドリッチ、ニコ・クラニチャール

 

この時代もいいですねー。モドリッチ若い!!

モドリッチのデビュー戦でもあったこの試合。ポジションは位置的にはなんと、最初で最後!センターバックというかリベロのモドリッチ」です。3バックの真ん中という奇策に出ます。

 

クロアチアのサッカーの基礎知識として、90年に始まったユーゴ内戦での分裂とユーゴ圏のサッカーチームについて触れていきたいとおもいます。まずは、

2018年のワールドカップ準優勝チームの″THE ORIGIN”となった2006年のモドリッチのデビュー戦から

 

この試合で、モドリッチは14番メッシ封じ専用機、そのため3バックの真ん中でデビュー。当時、ニコ・クラニチャールとポジションが被るということで縦関係にしたのもありますが、スイッチを入れる攻撃とボスニアリーグで鍛えたえげつないスライディングで泥んこになりながらのディフェンスでメッシと互角に渡り合い一気に株をあげました。

コバチとクラニチャールばかりに目を向けていた日本メディアも彼の存在を知ります。ただ、このチームのキーマンは実はフリーキックの名手のスルナでしたね。

 

今回は、大学時代に国際政治を勉強していたらきてぃっちが

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EURO2020(2021)出場のクロアチアのサッカーについて

NAPRIJED VATRENI(ナプリエド ヴァトレニ)

ゴーゴーヴァトレニ
(ヴァトレニは炎の意でクロアチア代表の愛称です。)
まずはクロアチアのヴァトレニの最新テーマソングです。

クロアチア観光もできて最高ですね!sperno!!

クロアチアではサッカーのことを「NOGOMETノゴメット」と呼びます。
ドイツのように押さえ気味の統制のとれたサッカーでもなく、イタリアのようにずるがしこくもなく、似ているといえば、スペインのような美しいサッカーですが、体躯の立派の選手が多いので、シンプルな迫力あるサッカーも展開します。

中心選手のほとんどが、他のヨーロッパ諸国でプレーしていることもあり、バルカンのたくましさをベースに、足元のテクニックを生かした洗練されたヨーロッパサッカーが混じり合います。

クロアチアは歴史的にも民族的にも混じり合ってきました。赤と白のシャホヴィニツァ(チェック模様)。それがクロアチアのサッカーです。クロアチアのFIFAランキングは現在4位と過去最高になっています。2008年にランキング8位がありましたが、これを凌駕してくれるとは🎵

”NEKA PATI KOGA SMETA,HRVATSKA JE PRVAK SVIJETA,NEK HRVATSKA ZVONA ZVONE,MI IMAO SAMPIONE.”

”さあ、攻めろ、クロアチアはチャンピオンだ。さあ、クロアチアの勝利の鐘のならそう、チャンピオンの誕生だ”

ワールドカップ2018 クロアチア

98年のワールドカップ、フランス大会のころに自然発生的に生まれた応援歌です。クロアチアが攻勢に転じたとき、クロアチアのサポーターはPIVO(ピーヴォ)片手にこの歌を歌います。
91年以降のクロアチアサッカーの強さの秘密は、この国が歩んできた厳しい歴史や地理的なものと無関係ではないです。

困難をバネにはい上がろうとするエネルギーは、この国民にとっての共通の財産になります。夢、希望に飢えたものへ与えられた精神力や技術が熟成した時に想像以上に力強いものとなります。そして、元来クロアチア人は熱いのです。

クロアチアにとって、サッカーというスポーツがいかに重要であるか知るうえで欠かせない事件がありました。
旧ユーゴ内戦が始まる前年の90年5月13日、ディナモザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦。政治的にも緊迫していた時期における旧ユーゴを形成していた首都代表チームの対戦は単なるスポーツの領域を超えて、始まる前から異様な雰囲気に包まれていました。

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警官隊をとび蹴りしたボバン

BOBAN

事態は起こるべくして、起きました。
89年にベルリンの壁が崩壊し、ドミノ現象のごとく東欧社会主義体制が次々と音をたてて崩れていきました。クロアチアではそれまでくすぶり続けていたセルビア主義の連邦国家からの独立の道を歩むのもの時間の問題という政治状況下におけるゲームでした。そして、両軍サポーター衝突という形で事件の幕をきれました。

騒ぎを治めるべきはずのセルビア人中心の警官隊が、ディナモザグレブのクロアチア人を狙い打つように攻撃をしているようでした。人柄も良く温厚な紳士として知られていたチーム中心選手でクロアチア生まれの愛国者、ズボ二ミール・ボバンはいったんサッカー場から非難しようとするが、子供も巻き添えになっていたのを見て、逆戻り、警官隊に敢然と挑み、とび蹴りをくらわすという行動に走りました。

感情が爆発したサポーター同士のいざこざを鎮圧させるには、応援するチーム、選手がピッチから一刻も早く消えない限り治まるものも治まらない。各選手は自身の安全を守ると同時にサポーターの感情を治める義務がある。即座に引き上げるのはそのためなのですが、ボバンは派手な役回りを演じてしまいました。

クロアチアディナモとセルビアレッドスターベオグラードの1990年5月13日

ボバンは、

  • 9か月間公式戦への出場停止
  • 90年ワールドカップイタリア大会出場禁止

ということにボバンは「まったく後悔していない」とこの事件によってボバンは国民的なヒーローとなり、クロアチア人の心を掴んでしまったのです。その後91年6月25日にクロアチアは独立。ボバンは戦争で揺れる母国を後にしてイタリアへ。UEFAチャンピオンズカップ優勝と4度のスクデッド制覇、98年ワールドカップ3位で国民の期待のこたえ続けました。

紀元前400年ごろに最初のギリシャ人の植民地がアドリア海の島々に築かれ、紀元前100年くらいにローマ人がアドリア海東海岸を支配。クロアチア人が現在のクロアチアに移住してきたのが、600年ごろである。10~11世紀に中世クロアチアが築かれるが、その短い時期を除いて、91年に独立するまで、独立したクロアチア人統一国家が作られたことはありません。
12世紀初頭にハンガリー王国の支配下となって以来、ハプスブルグ家が終焉を迎えるまで、800年の別の勢力に支配されてきました。
これに対して、クロアチア人は戦い続けてきました。民族主義が悲劇を繰り返しても、自分たちの文化を維持してきました。その中の一つが「NOGOMET」サッカーです。アドレナリン満載のファンたちは、
NAPRIJED VATRENI(ゴーゴー行け!)と叫び続けます。

旧ユーゴ、バルカン各国現状

クロアチアばかり紹介してしまいましたが、もちろん、ボスニア、セルビア、マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、アルバニア等それぞれ一定の強さは持ち合わせています。特に、ライバルのセルビア代表は国の育成力が戻ってきて、すごいメンバーがそれってきています。バルセロナに移籍するだろう、ルカ・ヨビッチ、規格外のプレーメーカー、セルゲイ・ミリンコサビッチ、フランクフルトのコスティッチ、ガチノビッチ、AJAXのタディッチ等、EURO2020では、台風の目になるのではないかと思います。ボスニアもフリーキックの名手、ユベントスのピアニッチ、ローマのジェゴ等、力はあります。意外とアルバニアやコソボのサッカーも迫力があって、サッカーだけでなく、古来から列強にぶつかってきた歴史的背景を感じます。

https://modric19.com/euro2020-32-croatia-pot2

なるべく多くのバルカン諸国がユーロ2020で健闘してほしいです。でも、やはり、一番の魅力はクロアチアのシャホヴニツァチェックです。クロアチアのユニフォーム見ると生きるエネルギーに満ちているなと思います。最後にもう1曲、自分の子供が踊りだしてしまう好きな曲です。5歳なんですけどね。明日への活力へ。