こんばんは。ソムリエのらきてぃっちです。
今までノーマークだったのですが、機会があり、ジョーティッシュ??インド占星術で自分を観てもらえる機会があったのでさっと紹介します。
インド占星術とは
インド占星術は、何と5000年の歴史があるということです。かなり古くからあるものなんですね。日本にて取り挙げられることがあまりないので、全くわかりませんでした。インド式ヨガとかそういうのは見聞きしたことがありますけどね。占星術には西洋占星術と東洋占星術とあります。インド占星術は、その東洋占星術の1つということになります。ちなみに東洋占星術の他には、中国占星術やチベツト占星術などがあります。
インド式の占いというのは特別なものがあるのでしょうか。大体は西洋占星術と同じです。日時と場所の天体の配置から運命を読み解くものです。インドでは運命と言うものを大事にしているようです。このインド占星術は日常的によく使われているとのこと。インドの人と言うのは、案外占い好きなんですね。日本人は占い好きな人が多いと思っていたのですが、インドも変わらないということですね。
インド占星術の特徴
大きな特徴と言うのが、インド占星術はよく当たるというんです。これはとっても魅力的な特徴です。そして、占いの処方が豊富であることが挙げられています。占いの星は、西洋占星術の12の星座と同じということです。
西洋占星術でのアセンダント(第一室)のことをラグナと言います。誕生星座に深く関わります。一番自分の傾向を表すとされています。また、インド占星術はカルマを重視されています。身近な人間関係によくあらわれるとされています。西洋占星術も奥の深い占いですが、インド占星術は言葉のわかりにくさがあるなと感じました。そして複雑に読み解くというのが難しそうです。インド占星術にちょっと興味が出てきて、と言って簡単に出来るものではありません。最も難しい占星術とのことです。
インド占星術でみる星座占い
インド占星術では、合占断と(第一室)の事をラグナと言います。
いわゆる、インド占星術の自分星座の事を指し、この星座が最も自分の傾向を示す事になります。西洋占星術の星座占いとは異なる人が8割と言われているため、しっかりとインド占星術での星座を確認しておきましょう。自分は西洋だと水瓶ですが、インドだと獅子座でした。
インド占星術の種類
このインド占星術のことを他の呼び方でジョーティッシュと言います。こちらの言葉の方が多く見られるかも知れません。このジョーティッシュには種類がありまして、一般的な占いのネイタル、国や団体などにおいての大きな問題、災害や経済や外交などを占うマンデーン、時間や場所をもとにチャート式に占うホラリー、結婚や開業などの特別な催しのタイミングを占うエレクションなど、主にこのような種類があります。違う呼び方もありますので、ちなみにということで書いておきます。
ネイタルはジャータカ、マンデーンはサンヒター、ホラリーはプラシュナ、エレクションはムフルタです。これからもしもインド占星術について話す機会があったならば(可能性は低いですが・・・)、チラッとこうした言葉を発することで話のネタにはなりますよね。
占星術ってどんなもの? なんの役割があるの?
占星術とはズバリ「星(特に惑星)の動きが人間の運命に関係している」という考え方から生まれた占いです。
むかしむかし、夜空に浮かぶ星を見て人間は考えました。
そこから「星の動きは人間や世界の運命に関係している」という発想が生まれ、それを読み解こうとする人々が現れました。
彼らのことを占星術師と呼びます。
この占星術、古代インドでは学問の一つと考えられていました。
ただ未来を予測するだけでなく、人の生き方そのものに関わるのが占星術です。ですので、これをあつかう占星術師は高い教養と優れた人格を備えていなければならない、とされていました。
占星術はそうした時代から受け継がれてきた人間の知恵です。
これを学ぶためには単に技法のみでなく、その背景にある世界観まで知る必要があります。
インド占星術の歴史
それではまず、インド占星術の歴史をざっと頭に入れておきましょう。
古代インドにはもともと土着の技法がありました。主に月の軌道に着目したこの技法はナクシャトラと呼ばれています。
この土着の技法に加え、新たに新たに西方からやってきたギリシャ由来の占星術が採り入れられ、両者が融合し現在のインドに伝わる姿となります。
こうして誕生したインド占星術は、
- ヨーロッパやアラブの占星術とよく似た体系を持ちつつ
- その根本にはインド独自の哲学が含まれている
アレクサンドロスと巨大帝国、そしてヘレニズムという時代
しかし、ギリシャとインドは遠く遠く離れています。それがどうして、インドにギリシャの占星術が伝わったのでしょうか?
その答えは「ヘレニズム」と呼ばれる時代にあります。
時は紀元前334年。ギリシャ全土を手に入れたマケドニア王「アレクサンドロス三世」は東方へ遠征を開始します。
目標は宿敵でもあったアケメネス朝ペルシャ。アレクサンドロスは何度かの決戦でペルシャ軍を撃破し、西はギリシャから東はインド西北部まで含む巨大な帝国を築き上げます。(アレクサンドロスの帝国)
アレクサンドロスの帝国版図
インド、メソポタミア、エジプト。当時高度な文明を築いていた地域がすべてひとつにつながったのです。
アレクサンドロスの死と帝国の分裂
大王の死後に分裂した王国
しかし大王とも呼ばれたアレクサンドロスが若くして亡くなると、帝国は急速に瓦解します。
その後継の座を狙って大王の部下が争い、版図はいくつかの王国に分立したのです。
ギリシャ系の王が各地を支配したこの時代、西方(ギリシャ)から東方(インド)にいたるまでの文化が積極的に交流、伝播されました。
新たな文化が花開いたこの時代のことを「ヘレニズム時代」と呼びます。
東西が一つにつながった時代
ヘレニズム時代には東西の物品、たとえば貴重な香辛料やスパイス、酒、織物などが盛んに交易されました。
しかし交換されるのは商品だけではありません。人や知識、文化もまた積極的に伝えられます。
こうして紀元前2世紀ごろにはギリシャの占星術技法がインドに伝えられました。
その後、紀元150年にはサンスクリット語にまとめられ、インド独自に発展して現在の技法となります。
『宿曜経』の日本伝来
こうしてインド独自の形となった占星術はやがて仏教化しつつ中国に伝わり、現地で陰陽五行や干支学などの影響を受けて変化していきます。これが『宿曜経』というお経です。
その後『宿曜経』は弘法大師空海ら留学僧によって日本にもたらされました。
『宿曜経』は弘法大師空海らによって日本に伝えられた
こうしてアレクサンドロスが切り開いた道により、西はヨーロッパから東は日本にいたる広大な地域に「ギリシャ=インド型占星術」が広まったのです。
占星術が世界中に広まったのはなぜ?
インド=ヨーロッパ型占星術が広まった理由は、単に時代と国家領土の影響があっただけでは説明がつきません。その背景にはこの占星術が理論的、学問的に洗練されており、異なる文化に生きる人々にも納得できるだけの論理性があったからだと言えるでしょう。