昭和平成令和見聞録

日本の船舶の名前、「油」を売るの由来&学ランの”ラン”の意味は?

学ラン

こんばんは。海事代理士のらきてぃっちです。
今回のらきてぃっち見聞録は言葉の素朴の愚問?として

日本の船名はなぜ○○ばかり?なのか

  1. 麿からきている
  2. 日の丸からきている
  3. 法律できまっている

正解はなんと1番。麿なの~~。なんかふざけてますね。
聞くところによると、海外では日本の船のことを「マルシップ」と呼んでいるそうです。最近でこそ○○号という船がちらほら出てきましたが。確かに日本の船は○○丸という名前が多いです。平安時代以前から「柿本人麻呂」のように「麻呂」もしくは「麿」という文字のつく人が多数でしたが、当時は自分のことを麿と呼んでいました。鎌倉時代に入るとこの「麿」が「丸」に変化しました。そして、牛若丸のように人の名前の最後につけられるようになりました。
日本人が外洋に乗り出しはじめたのは、ちょうどその時期と重なっています。丸が付けられる人物には高貴な人が多かったため、自分の大切な持ち物にもそのように名前が付けられるようになりました。ちなみに15年ほど前は、「船舶の名前にはなるべく丸をつけるように」という内示もあったそうですよ。

 

サボることを「油を売る」という理由

営業車を路肩に止めて、居眠りしているドライバーをみかけることがあります。
上司にバレたら、「お前、油を売っている暇があったら1軒でも余計にお得意様
を回ってこい!」と怒鳴られるでしょう。
ところで、なぜさぼったり、時間をつぶすことを「油」を売るというのでしょう?
これは、江戸時代に油屋が行商で油を小分けしていた頃の名残からきている言葉なのです。
当時、油屋は柄杓や升を使って、油を量り売りしていた頃の名残からきています。
当時、油屋は柄杓や升を使って、量り売りをしていました。
油は粘度が高いので、お客さんの持ってきた器にすべて流れ込むまでに、ずいぶん時間がかかりました。この間、油売りとお客さんが世話話しをしながら待っていたことから、時間をつぶすことを油を売るというようになり、これが、転じてサボるということを指すようになりました。
ところで、当時油屋が売っていた油は食用油や行灯用の油だけでなく、髪につける油もありました。油屋が女性相手にゆっくりと話しこんで商売していたからという語源もあります。

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学ランのランって何のこと?

学生服のことを学ランといいますが、学ランの「ラン」っていったい何のことでしょう?実はこの「ラン」はオランダの蘭(ラン)のことなのです。江戸時代、日本にやってきたオランダ人の着用していた詰襟の服のことを人々はオランダ人の着ている服という意味から「ランダ」と呼んでいました。その後、明治時代に入り、学生が詰襟の制服を着るようになると、それを見た周囲の人たちが「学生用のランダ」という意味で「学ラン」と呼ぶようになりました。

セーラー服が女子用の制服になったのは、何故か?

初めて、セーラー服が登場したのは、1857年のことです。英国海軍が下士官や水平の制服としたのは、結構、ご存じの方も多いかと思います。日本海軍で採用されたのは、1872年の明治5年です。英国海軍に倣ってこのようになりました。日本で、女子学生の制服をセーラー服を初めて採用したのは、福岡女学院で、1921年でした。父母や生徒の間から「和服では、体操や運動の時に不便で、お金がかかりすぎる」という不満の声が上がったため、当時校長だったエリザベス・リーさんがセーラー服を元にして、女子の制服を考案したそうです。その制服の評判がよかったために、またたく間に日本中に広まりました。