江戸の庶民の楽しみも「江の島弁財天詣」だった

江の島

Dobar dan !こんにちは。

夏の盛りで海の家や磯遊びを楽しむ方もいるのではないでしょうか?自分も今から子供と江の島に行く予定です。夜はサザンビーチの花火を江の島のサムエル・コッキング園から見物する予定です。

いまでこそ、都内で日帰りでいける場所になりましたが、やっぱり交通手段の発達ってすごいですよね。

ところが、300年前たった300年とも言えますけど、江戸時代の旅といえば、庶民の交通手段は自分の脚が原則。とにかく、歩くほかなかったのです。

徒歩による移動距離は、健脚家で約40キロ、女子や子供、老人連れだと、約28キロ。江戸から大坂間は137里あるので、順調にいっても、片道数十日、女子、子供なら、20日くらいかかってしまいます。

当時の江戸庶民の楽しみ方も「江の島弁天詣で」

 

02 江島神社_弁財天

これは自分も同じでなんか、嬉しいですね。ただ、当時は江の島ですら往復に1週間必要でした。もちろんお金もたっぷりかかりますので、そのために融通しあう「講」が発達していたのもよくわかりますね

江戸時代の「講」には、「伊勢講」「富士講」に代表される信仰に基づくものと、「頼母子講」「無尽講」に代表される経済的相互扶助を目指すものの二種類がありました。どちらも、「講」のメンバーが定期的にお金を積み立て、そのお金で前者の場合には何人かずつを「講」の代表として伊勢詣・富士詣に送り出そうとするものであり、また後者の場合には籤引きなどに当たった人がまとまったお金を優先的に利用できるシステムであった。伊勢詣も富士詣も日本の信仰の旅は同時に「物見遊山」の旅でもあった。「連れ立ってあちこちの名所旧跡を訪ね、知的好奇心を満足させようとする」旅でもありました。

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弁財天(余談で説明

本殿に祀られているのは宗像三女神(むなかたさんじょしん)です。

宗像三女神とは昨年(2017年)世界遺産に登録された宗像大社(むなかたたいしゃ)(福岡県宗像市)を総本宮として日本全国各地に祀られている「田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)」「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」の総称です。

弁財天はヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名です。

今度はヒンドゥー教が出て来たので簡単に説明すると仏教もインドゥー教もインド土着の神様を取り入れているので元は同じです。日本の神仏習合と同じ。

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日本の弁財天の出どころは仏教

このことから中国にも弁財天は存在するのですが日本の場合、サラスヴァティーに吉祥天(こちらもインドゥー教の女神です)やその他の様々な神の一面を追加したりした為、ハイブリットな弁財天へと変化しています。

良い例が七福神です。弁財天は神様として扱われ「七福神」の一員として宝船にも乗っていますよね。まさに神仏習合です。

江島神社がなぜ日本三大弁財天の一つに数えらいるのか?

江島神社の起源は欽明天皇の勅命により552年に島の南側にある岩屋に神様を祀ったことから始まります。552年って相当な古さですね。

「江の島 岩屋」の画像検索結果↑岩屋入口

07 岩屋内↑岩屋内

08 岩屋_江島神社発祥の地↑岩屋_江島神社発祥の地

その約500年後の1182年に源頼朝の祈願により僧の文覚(もんがく)が江の島に弁財天を勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)しています。

これにより神仏習合が行われたのでしょう。

実際に明治に入るまで江島神社は江島弁天、あるいは江島明神(明神は神仏習合における仏教的な神の称号の一つ)と呼ばれていたそうです。関連画像