古くて新しい!スペイン料理 プエブロ青山 昭和レトロな店

Dobro Jutro!! こんばんは!シェフのらきてぃっちです。
今回は、南青山にあった店。

スペイン料理「プエブロ青山」

を紹介します。店の紹介というよりは自伝になってしまうかもしれません。実は、1977年にオープンして、昨年、2018年に閉店した店です。閉店した店を投稿するって普通ありえないのですが、自分が最初に就職した店だったので、平成も終わる今、色あせないように、書き留めておきます。

青山というと新しい店が多いのですが、ここはその中で、失礼な言い方ですが、化石のように残っていて、店内に入った瞬間、加山雄三の映画くらいの時代のタイムスリップしたような感覚を今でも覚えています。周りが新しい店ばかりなので、余計、ギャップがあり、”古くて新しい”店でした。大学を留年した時に、留年仲間とたまたま、見つけたのですが、場所は青山学院のすぐ脇で、お客さんは、学生ではなく、いい大人ばかり。しかも、ランチ、スズキのグリーンソースが800円という良心的な値段で味がインスタントでなく、手作り感満載、これが本物。初めて、雰囲気、味ともに”名店”というものを感じました。

普通に事務仕事でもやっているだろうと思っていたのですが、たまたま、その店が募集していた、昔ながらの張り紙の求人広告に妙に、ラッキーと思ってしまいました。そのまま、アイドルタイム中にエレベーターを上がって、「すみません!」と声をかけ、休憩中に面接をして頂き、めでたく?就職することになりました。

普通に就職したら、もっと、待遇はよかったかもしれませんが、ネット(リクナビ、毎ナビ)とかではなく、流されることなく、自分で見つけて、自分で味わって、自分らしい選択、就職ができたというところに満足ができました。最初の出勤日が誕生日と同じ2月18日だったので、余計、ピンときてしまいました。

オーナーは、N大の方だったのですが、学生紛争時代で、大学も大して行かずに、自分で事業をしようとして、立ち上げたそうです。今でこそ、スペイン料理はたくさんありますが、当時は数えるほどしかなく、フランコ将軍の時代にスペインに行って、料理を学んできて、軌道にのるまでは大変だったようですが、サラリーマンでなくても、意志があれば、自分で造り上げられるということを教えて頂いた方でした。1970年前後ですから、常識ではちょっと、考えられない行動力です。今は自分は普通の会社にいますが、オーナー自分でやり遂げると自信があるせいか、考え方が全く違うので、自分もオーナーの考えでサラリーマン生活をすると失敗してしまいそうですが、是非、目指したい人物ですね。北海道出身のせいか、開拓精神もおありなんだと思います。北海道って、普通の世界史ではありえない進歩で、開拓移民の苦労が大変なものだったそうです。お客さんも青山という土地柄か、個性的な方が多く、芸能人の方にもたくさんお会いできて、いい思い出として残っています。他にも、スターバックスの方々、SHU UEMURAの方、コムデギャルソンの方々等。

また、オーナーと同じくらいの世代に故・粥川仁平さんという、パーキンソン病になりながら、スペインの絵を描いていた方がいるのですが、もどりっちの退職後もその絵を飾ってくれました。“アフリカからの風”という絵画です。スペインは、アフリカ大陸が鼻の先。墨液でスペインのアンダルシア地方の絵画を描いたものです。パーキンソン病でも描き続けた、プエブロのオーナーと同じく、自分を貫いた方です。こうして、ネットだろうが、公開できるのは、きっと故人も喜ぶと思います。

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“アフリカからの風”

プエブロのおすすめは、牛タンのシチュー、イカスミのパスタ、マッシュルームのオリーブオイル焼きなどあったのですが、閉店した今ここでいろいろ言っても仕方ないので、今は、味わえないが仁平さんと同じく作品として、並べてパエージャをのせよう。

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”パエージャのプエブロ風”

どちらも、人生を貫いたお二人がわかる写真です。同じ青山学院近辺で、古くから営業している店で、”エルカス”ことエル・カスティリャーノも名店ですよ。いちお、HPです。

http://www.el-castellano.jp/

そのうち、本当にプエブロの再建を考えるらきてぃっちです